タツのブログ

元暴走族だった僕がニートから大企業で働き、感じた事をつぶやきます。主に働きかた、書評、クリエイティブについての記事を書いています。

自己紹介(0~6歳)

みなさんはじめまして。おがたつといいます。自分自身楽しみながらブログを続けていきたいと思っています。僕の何かが誰かの役にたったら嬉しいです。まずは簡単に自己紹介させてください。

 

 

0歳から3歳

 

僕は千葉県で生まれました。港町の田舎で育ちました。姉と両親の4人家族です。

 

僕が小さい頃から両親の喧嘩が絶えませんでした。

 

家族4人で一緒にご飯を食べた思い出がこの頃の記憶としてありません。

 

父が母に暴力を振るう姿が怖かった。

 

 

怒鳴り声が聞こえるたびに恐怖でした。

 

 

母が馬乗りになって殴られている姿をみて泣きながら「やめてよーやめてよー」と言ったのを覚えています。

 

 

原因は父親の浮気。引っ越しも何度もしました。

 

 

団地に住んでいた時期もありその頃は楽しかった記憶があります。

 

 

友達と敷地内にある公園で遊んだり。それが0歳〜3歳くらいの頃です。

 

 

3歳〜6歳

 

その後、父と母は別居しました。

 

僕は母と生活を共にしますが生活は苦しかったです。

 

それでも母は働きに出て生活を維持してくれました。

 

保育園に通いお友達も出きました。

 

この頃、好きな女の子が出きました。

 

ある時、他の男の子にいじめれているのを見て僕は止めに入り喧嘩になりました。

 

相手は大きな石を投げてきて僕の目のすぐ下に当たりました。

 

泣き叫んでいたら先生たちが気づき喧嘩は収まりました。

 

もう少し上に当たっていたら失明していたかもしれないと思うとゾッとしました。

 

 

鼓笛パレードでは大太鼓を叩きました。

 

どうやらうまくできたようで、先生や母に褒められたのを覚えています。

 

保育園を卒園する時は子供ながらに寂しい気持ちになりました。

 

一方母と父の関係は悪化していました。

 

 

父の浮気相手の家に、なぜか僕も連れて行かれたりしました。

 

その道中、母は気が動転していたのを覚えています。

 

今思うと母は精神的に病んでいました。

 

大したことしていないのにすごく怒れました。

 

足を掴まれて振り回されたり。。所謂、虐待というのでしょうか。

 

 

引っ越しを繰り返したのも母がご近所さんとのトラブルが増えたからでした。

 

旦那がいないことを気にしていた母は、近所の目を執拗に気にしていました。

 

雨戸をわざと大きな音を出してバンバン開け閉めしていました。

 

それがきっかけでトラブルになり、家の外で大きな声で口論している事もありました。

 

今思うと母の状態を考えると理解できますが、当時の僕には理解できない状態でした。

 

僕も姉も精神的に不安定な状態が続きました。

 

ここまで読んでいただきありがとうございます。長くなったので続きを書きますね。

 

今日もありがとう。

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